こんにちはつむりです。
世の女性に絶大な人気を誇る映画「愛がなんだ」を見ました。
僕は男ですが、それでも面白かった。
愛ってなんでしょうね?
単純で複雑な問いかけにしどろもどろになりながらもみんな幸せになりたいんだなぁと改めて感じる素敵な映画でした。
この記事では、
- 「愛がなんだ」のあらすじ
- 「愛がなんだ」のネタバレ感想
- 「愛がなんだ」見どころ
について解説します。
あくまで個人の見解です。あしからず。
広告
目次
愛がなんだ
公開 | 2019年 日本 |
監督 | 今泉力也(アイネクライネナハトムジーク、his、街の上で) |
原作 | 角田光代(八日目の蝉、紙の月) |
本編 | 123分 |
出演 | 岸井ゆきの 成田凌 深川麻衣 若葉竜也 穂志もえか 中島歩 片岡礼子 筒井真理子 江口のりこ |
猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。
http://aigananda.com/
「愛がなんだ」あらすじ
偶然知り合った山田テルコ(岸井ゆきの)と田中マモル(成田凌)。
テルコはマモルに恋をし、生活がマモル中心に回り始めます。
会社では仕事も手に付かず、電話も取らず、マモルの連絡を待ちスマホばかり眺めていました。
マモルから連絡が来ても「今から帰るところだから大丈夫。」と言えるようになにもせず会社に居残ることもしばしば。
そんな折、体調を崩していたマモルはテルコを呼び出し、看病をしてもらったにもかかわらず、深夜にも関わらず帰ってくれなどと都合よくテルコに接するようになります。
惚れた弱みもあり、何となく言いなりになってしますテルコですが、そんなテルコを親友の葉子(深川麻衣)は心配していました。
しかし、そういう葉子にも気が向いたときに呼び出し、気が済んだら帰ってくれと言える都合のいい相手がいました。
葉子に都合よく呼び出される仲原(若葉竜也)は葉子を慕っており、自分のされている扱いも理解した上で葉子は優しくて素敵な人だと思っていました。
テルコとマモルは一緒に飲んだ後、体の関係を持ってしまいます。
それがきっかけで付き合い始めたように思っていたテルコは、会社もクビになってしまい空いた時間をマモルに尽くすようになります。
しかし、いつしかテルちゃんから山田さんに呼び方が変わっていて驚くほど冷たい態度を取られるようになります。
葉子はそんなテルコを見て、「もうやめときなよ」と勧め、テルコも新しい仕事を探し始めるようになります。
そんなとき、マモルから連絡が入り、喜んで会いに行くと塚越すみれ(江口のりこ)を紹介されました。
すみれはテルコとはまったく違うタイプでした。
テルコはヘビースモーカーで自分の意見をまっすぐに言う自由奔放なすみれにマモルは好意があることに気が付いてしまうのでした… 。
「愛がなんだ」見どころ
愛ってなんだろう
タイトルでお分かりかと思いますが、この映画は恋愛映画です。
ですが、明確な障害がありそれを乗り越えていくようなハッピーエンドや、その障害に飲み込まれてしまうバッドエンドを描いた映画ではなく、めんどくささを招いているのはいつも自分なんだと教えてくれる映画です。
今泉監督は、ふわふわとした描写や長めのワンカットを使い、観客に考える余裕を与えてきます。
マモルに呼ばれてひょいひょい出ていくようなプライドの低いテルコに、可愛さも感じますがそれよりも「何やってるんだよ」といういらだちが先行しました。
もちろんそれはマモルが悪いと考えることも出来ますが、会社に居残りまでして連絡を待っていたしたたかさを考えるとテルコの自尊心の低さにも腹が立ちます。
でも、仕方ありません。
愛は尽くすものだという一つの答えがここにありました。
テルコのラップ
マモルにすみれを紹介され、その後「山田さんの5週くらい先読みした逆自意識過剰が苦手。すみれさんを見習いなよ。全然気ぃとか使わねえじゃん。」
そう言い残し、タクシーに乗り込んだマモルを見送った後におおむろに始まる塚越すみれをディスるラップ。
塚越すみれ つか… つか誰だよ
塚越すみれ 下着よれよれ 内臓荒れ荒れ
いつも便秘気味 たばこ吸いすぎ
真っ黒な肺と悪い肝臓
乾燥した背中 かゆくてしょうがない
なのに体硬いから届かない
予備校でも生徒たちから
変な格好とウワサ殺到
上司との不倫もバレバレ なのにほっとかれ
植物買ってもすぐに枯れ
ベランダにはその残骸が哀れ
春先には冬を超えたゴキブリの卵がかえる
背中かゆい! ざまあみろ
愛がなんだ
長いワンカットでのシーン。
急にどうした!?となりましたが、よくよく考えてみるときっとあれは、それまで自分の負の感情を吐き出すことが出来なかったテルコが行った精一杯の感情の吐露なんでしょう。
都合のいい女になってしまう自分へのアンチテーゼをすみれをディスることによって表現したのかな。
だけど、まだ本来の自分からの脱却には至ってない為に、すぐさま妄想のマモルと過去の自分からの手痛いしっぺ返し(後悔)が訪れたのです。
余談ですが、
ディスるの語源は英語のディスリスペクト(disrespect)からきています、HIPHOPではラップで相手を批判する文化があり、それを表現したシーンなのでしょう。
原作にはないシーンなので、リリックは監督が書いているんです。ラップの先生に音を入れてもらったデータを事前にいただいて、とにかく聴きこんで撮影に臨みました。撮影の時はビートも流れていたんですけど、結局全部削ぎ落とされて私のラップだけになっていましたね。映画の中でもすごく大事なシーンになっていますし、私にとっても思い入れのあるシーンです。【岸井ゆきの】
https://realsound.jp/movie/2019/04/post-351545_3.html
緊張したと言いながらもこのシーンには思い入れがあるようです。
心境の変化
こう言ってしまうとチープではあるんですが、映画が進むにつれ心境の変化が見えるようになります。
自分が葉子をダメにしていると気付いたナカハラ。
ナカハラの個展を見に行った葉子。
葉子に「すみれさんに会うためにテルコを誘うのはおかしい」と言われ、テルコと決別しようとするマモル。
離れていこうとする、マモルのそばにいるために自分の感情の一切を捨てきるテルコ。
もう好きという感情すら超越し、マモルになりたいとさえ思い始めたテルコは以前行ったデートでマモルがこぼした像の飼育員になったところで映画は終わります。
女性ファンが多いと言われるこの作品ですが、改めて並べて見るとテルコと葉子の行動の方が切ないですね。
離れていったナカハラに会いに行ったのは、いつもいた人が居なくてその大切さに気付いた。とは、少し違い、ただ寂しかったからでしょう。
テルコの好きは、自分が傷つかなくても済むように、「マモルになりたい」という方向に進んでいきます。
つまり二人の「愛」は自分を守るためのもの。
ナカハラとマモルの「愛」は葉子とテルコを守るためのものかもしれません。
「愛がなんだ」まとめ
みんなが痛々しいというテルコの真っすぐな想いに自分は羨ましさやある種の嫉妬を感じます。
こんなに真っすぐに人好きになれるってすごくいいことだなと。-今泉監督-
シネマアートオンライン
ここまで人を好きになるのは確かにはたから見れば滑稽で羨ましいかもしれません。
他人のことなら見えるのに自分のことはうまく出来ないテルコやマモルに少しイライラするのは、その行いに自分が当てはまる部分があるからかも。
愛だの恋だのって割と煩わしいもんですね。
でも、そう割り切るにはきっと僕らはまだ青すぎるんだ。
アマゾンプライムビデオで是非ご覧ください。
成田凌さんの話題作はこちら→
コメントを残す