第5章 「コール」
スマートフォンが呼び出しを繰り返し告げている。
アラームかな?と思ったが電話がかかって来ているようだ。
時計を見ると4時を少し回ったところだった。
こんな時間に電話が鳴ることなんかないせいで一瞬朝なのか夕方なのかわからなかったが、どう見ても外が暗い。
夜明け前。つまり朝方の4時か。
こんな時間に一体なんだ?音の方に目をやると暗闇の中で光り輝く液晶には見知らぬ番号が表示されていた。
「はい。」
これでもかというくらいの起きぬけのかすれた声で電話に出る。
「小林さくらさんでよろしいですか?」
「はい、そうですが。」
相手は落ち着いて聞いてくださいね、と前置きした後、淡々と話し始めた。
話は聞こえている。
途中聞いてますか?と質問されると、「はい、聞いてます。」と返事が出来る。
相手が言っていることはわかる。
だけど、それが何の話か理解が出来ない。
話が一段落した後、聞き返した。
「あの、すみません。あなたはどちら様なんでしょうか?」
「最初にお伝えしたのですが、もう一度お伝えします。武蔵野署交通捜査課の天野です。」
明け方前の街は本当に静かだ。
遠くで、新聞配達のバイクの音が聞こえる。
天野さんに呼び出され、中央病院へ向かう。
自転車で向かえる距離だったのだがタクシーにしてください!と強くうながされ、拾えればいいかという感覚で歩いて向かい始めた。
今わかっているのは颯が事故にあったらしいということ。
状態は良くない、らしい。
慌てて服を着替えマスクにメガネで飛び出したが、やはりフワフワとした感覚から抜けられない。
でも、とにかく急いで行かなくては。
タクシーを探しながら急いで向かった。
ちょうど空車の表示のタクシーが走ってきたので手を挙げて、乗り込んだ。
「近くですみませんが、中央病院までお願いします。」
「かしこまりました。こんな時間に病院ですか?どこか具合が悪いんですか?」
「あ、いえ、彼氏が事故にあって運び込まれているそうで、すぐに来てくれと連絡がありまして。」
「え、そ、そうなんですね。じゃあ急いで行かないといけませんね。お手数ではございますがシートベルトのご着用お願いしております。」
「あ、はい。お願いします。」
車内は静寂のまま窓の外をばんやり見ていた。まだ日は昇っていないが朝を迎える準備が始まった。そんな空の色だった。
5分もしないうちにタクシーは病院の正面玄関に到着した。
「ご到着です。ありがとうございました。ちょうど車庫に帰るところだったのでお代は結構ですので。」
「え?いいんですか?深夜だし割増とかあるんじゃないんですか?」
「いえ、本当に大丈夫です。早く向かってあげてください。」
「そうですか、ありがとうございます。助かりました。」
走り去るタクシーに向かって頭を下げて病院内に入る。
総合受付は電気が消えており、廊下の蛍光灯はついているが、緑色の非常口の灯りがやけに明るく見える。
夜間窓口の文字を見つけそちらへと足を向ける。
夜間窓口と書いてある側のソファにスーツを着た男性がいた。
こちらに気づき会釈をしたので、慌てて頭を下げる。
「小林さんですか?お電話差し上げた天野です。」
背広の内ポケットから桜の代紋の入った手帳を見せながら天野さんは話始めた。
ドラマで見たようなシーンの中に自分がいることが余計に現実感を遠ざける。
「同じ話になりますが、古谷さんは2時間前に交通事故に合いました。
状況はまだ確認中ではありますが、男性ともめていたようで、古谷さんと接触したタクシーの運転手の証言では、道の真ん中に飛び出して来て倒れ込んだとか。
近くに男性と女性がいたようで、その2人からも事情を聞いているところです。古谷さんにお会いになりますか?」
太陽が顔を出し、薄い赤紫だった空が段々と水色へ変わっていく。
爽やかな朝だ。
空気がしんとしていて、吐き出した息は長い間空中を漂い辺りに溶け込んでいく。
2人で暮らした方が経済的だという彼の主張で颯と暮らし始めてまだ2ヶ月もたっていない。
「悲しい」という感情は頭が働いているときに訪れるものだと初めて知った。胸にぽっかり穴が空いたときには涙は流れないんだな。
事情は大まかには飲み込めた。
彼の性格だ。きっと理由があるんだろう。
訳もなく人を傷つけたりモメ事を起こす人じゃない。
そういえば、事故を起こしたタクシーとさっき乗ったタクシーが同じ会社だと、ぼんやり思い出した。
自分の吐き出した息が漂い消える様を見ながらただ、歩いた。
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